昭和51年04月18日 月例祭
(途中から)
おかげを受けたために沢山な人が助かるようになる。何ですか手本になる様な信心をせよと仰せられる。昨日、一昨日はあのように御盛大に、春の御大祭が仕えられました。丁度去年の春の御大祭が千五百五十余りでしたから、今年は千七百六十名の方達のお届けがあっとります。まぁ一年間でまぁ二百名増えたと言う事になりますでしょうか。まだこれから限りなくもうそれこそ千人も万人もの者が、いやぁもっともっと広く大きくここで修行をして先生方、御道の教師になる方達がもう二十数名出来ました。
今年もまた五名学院にまいる事になります。去年行った四名の学院生もう先生になって、今日四名帰ってまいりました。と言う様に本当に限りなくおかげを頂いて参っております。私の信心が、まぁ手本になるような信心とでも、でもないのでしょうけれども、どこにそう言う様なおかげを頂く、まぁ神様がおかげを下さる事になって来たのだかろうと思います。今日お月次祭のお礼を申させてもらう時に、神様からこのいちご、果物のいちごです。そすときゅうりとこう頂くんです。
いちごということは、私はこれは仏教的な言葉ですね。一期【いっき】と書いていちごと読む。一期の願いと申しますね。もう一生一代の願いでございますと言う訳です。今朝から直ぐそこに久保山という方が熱心に参ってきます。リウマチで足が動かず水がたまって、足が上がらんほどにあったのが、医者を止めて医者ではかいきませんから、ここにお参りをしてこられるようになって。
そしてすっかり水を取らんようになり、まぁ座れば座られるけれどもまぁ今んところ、少しこう横に投げ出さなならん位ですけれども、おかげを頂いてお百姓の仕事も出来るようにおかげを頂いて。もう毎日それこそ喜び一杯でお参りをして見えられます。昨日の朝はお夢を頂かれた。五人も娘さん達がおられる、その娘さん達に、こういうなんか見事な器の中にいちごが入っておる。そのいちごをどうぞ頂いてくれというて、一人ひとりの娘さん達にあげておられるところを頂いた。
だから私今のそのいちごの願いということをね、こりゃお母さんとして子供達娘達の一人一人が、お母さんはおかげを受けて、毎日お参りをして、教えを頂いて有り難い有り難いで、まぁおかげを頂いておるけれども。子供達もそのおかげを知らんわけではない。どうかあると御神米を頂かせてくれ、お神酒さんを、はぁとにかくこのお神酒さんは効きなさる、というところまで位は分かってるけれども、お参りをして来るというところまではいってない。
それをなら親の願いとして、子供にかける親の願いとして、一生一代の私の願いは、財産が出来ますようにとか、目先の事ではなくてね、子供達一人ひとりがね、信心を頂いてくれるということをです、親の願いとさせてもらわなければならない。親のこれが一番の願いである。これがもう私があなた達に対する願いであると、子供達に願うてもでも信心をしてもらなわなければいけない事でしょう。その事を今日から、新たな祈りの中に加えていかなければいけませんねというて、まぁ申しました事でした。
一期の願いと言えばもう二十何年も、もう椛目の時代に人がどんどん助かり出した時分。善導寺の原さんの所の、今日は楽員さんで明日笙の御用を頂いておられます昌一郎さんが、二十数年以前にもういよいよ医者が難しいと言う事になった。もう今日がもう今日はもう今度は難しいと言う事になった。もうそりゃ本当にひどいもんでした。丁度このお月次祭を仕え終わった、終わっとる所へあちらのお父さんが、夏の事でしたからこのランニングシャツ一枚で。
もうそれこそもう一生懸命で善導寺から当時の椛目に参って見えて、昌一郎はもういよいよ今日が最後だと。けれども親先生助かるちいいなさるけれども、先生ほんなこつばいうち下さいちいうてから、言うて見えました。もう昌一郎は半分な死んどります。もう半分なあきらめとります。ほんなこつ言うて貰っちゃ驚きはしません。どうぞほんなこつを言うて下さいというて、私がお祭りを済んでそこに座わっとる所へ見えて、そのみえられた掛けつけて見えたんです。
それで私があの時分の私も若くて元気が良かったからね、「半分なしまえとる。半分なあきらめとるならもうしまえとるじゃないか」ち私が言って。「そんなこつ言わずに今から帰って裏の畑にどん座って、天地を拝みなさい」ち。「天地に縋りなさい」ち。というてまぁ気合をいれて返しました。その翌日おかげで明くる日参りにきとった。明くる日その夏の事ですから、私が二階で蚊帳をひいて休んどりましたら、蚊帳の向こうへ廊下、廊下になっとりました。
廊下の向こうで人影があるからと思うたらそのお母さんと、今度夫婦で参って見えておりました。私は蚊帳の中。ご夫婦は蚊帳の外でした。おかげでまぁ夕べはまぁその不思議な事にですね、医者がどんなに来て注射をしても、注射をしようとしても注射が違った注射を持って来るんですね、看護婦さんが。又しかけると注射が折れてしまうんです。三回そういうことが続いた。とうとういうならば薬を体が受けつけなかった。もう神様の働きがそこに、すでに始まっておった。
明くる朝みるて言うてから、まぁ今日もおかげを頂いておるというのでね、お礼なり又はお願いに見えました時に私がご夫婦に、もうそれこそ椛目合楽が始まって、こういうお取次ぎをさせて頂いたのは始めてだと、何時も申しますようにね。原さんあんた方ご夫婦がね、どうぞ一人息子ですから、その一人息子の命を助けて頂きたいという願いと同時にね、一生この御恩を忘れませんだけではなくて、一生この信心を続けますという、神様への先約をなさい。
そのことを神様にお取次ぎをさせてもらい、そのことを条件に新たな命を受けた事をお取次ぎさせて頂きましょう。とにかく一生忘れるだんの事ではありません、一生私共夫婦がお参りするだんな事はないという、先約が出来た。それからもうそれこそ、あのあの色紙のはぐれるといいますけれども、それから何ヶ月後にはねあの時分な木炭がその山向こうまで買いにいかなんじゃった。山向こうまでしんかれんここらへんまでおかげを頂いたと言う事です。
もうこれはもう医者もそれこそもうあれよあれよと言う様なおかげでした。以来約三十年間ご夫婦の信心が続くだけじゃなくて、本人の信心が続くだけではなくて、それこそあのう娘達の一人ひとりが、3人の娘さん達が、それぞれ熱心に信心をさせて貰う様になり。一番下の娘さんは不幸にしてご主人が交通事故でなくなりました。親一人子一人で今やってお母さんもそちらで、一緒におかげ頂いておりますが。おかげを頂いて爽やかな商売を久留米でさせて頂いておる。
段々おかげを頂いて、だんだん信心が分かれば分かるほど、有り難うならせて頂いて、もうそれこそ一家親類中、もう原さんのお宅ばかりはもう一家親類中がそうです。原さんのご兄弟が皆んな、北九州におるあたり人達。又はお父さんのご兄弟が、善導寺の勿体島ちいうところ居りますが、皆んなその姪っ子に至るまでが、信心させて頂くようになった。一人がおかげを頂いたために、それこそ千人も万人ものおかげのいうならば、きざしが見えてきた。
そしてその一番今度下の千恵子さんという方が、今年は教会修行させてもろうて、来年はお道の教師になるというております。これからどれほどしのおかげに展開して行くか分かりませんけれども、私は今日はそのいちごときゅうりのお知らせを頂いて、きゅうりという事は、文字って書くと久しい理と書いてある。何時何時までもおかげの頂けれる信心という意味なんです。おとうと言う事なんです。きゅうりの徳なんです。いちごということがです、ほほぉ私は今日改めてその事を感じさせて頂いたです。
本当に一生をですね、かけて信心をさせてもらうということは、それで神様が楽をなさるとか、儲けなさるというようなことではなくて、氏子が真実助かなければならない。いよいよ氏子の助かりという事がです、一人の助かりが千人も万人も助かって行くと言うことの、神願が神の願いがそのように成就して行く。神も喜び氏子も喜び、金光大神も喜びこの三つね、三つが喜ばれれる信心にならなければ、金光様のご信心とは言えないといわれております。
ご利益を頂いたおかげを頂いた。無い命を頂いた。これだけではいうなら神も喜びと言う事にはならない。金光大神も喜びと言う事にならない。神も喜び氏子も喜び、金光大神もの喜びというこの3者が一体となって、喜びあえれる所の信心が段々出来て来るという事を願う、為に願いというものの焦点がです、それこそ一期をかけての信心。一生をかけての信心。一生をいうならばいよいよ本心の玉を磨いて行く事に、日頃の改まりにかけて行くという信心になる時に、そういう偉大な働きが始まって来る。
私は今日は神も喜び氏子も喜びと、神様も喜んで下さると私共も喜べれるという事が、どう言う事かと思うんですんけれども、神も安心。氏子も安心。金光大神も又安心じゃというおかげの事であると思います。神様が例えばこの高橋正利、あっ定利という氏子がおる。もうこの氏子は大丈夫、と神様がした時に神様の安心がある。ならもうこの氏子は大丈夫だと、いうことはどういうことだろう。
もう一生かけてねいよいよ真の道を、信心の道をいよいよ身に付けていくだけではなくて、その信心の道いわゆる信心をさせてもらわなければ頂けない。又は分からない信心の真を生涯かけて、現していこうと言う様な、信心姿勢が出来る時に、始めて神様が安心下さると思います。その安心が私共に照りかえってこないはずはない。なかりゃ金光大神がなお又、安心して下さるんだということであります。
皆さん一つ信心をけちった信心ではなくてね、目先目先のご利益にとらわれずにね、一期をかけての信心。そこには寄り添うて来るように、きゅうりの徳が私は頂かれると思うんです。生涯をかけての信心。その間にはまぁ様々な事がございますでしょう。けれどもその様々な事柄を、先ほど前講に末永先生が申しておりましたようにね、その事を通して、私がより有り難い、いわゆるベター信心をしていくというのです。2人の子供に恵まれました。2人の子供がどういう風に育つか分かりません。
親のいう事を聞かんような事になる事もあるかもしれません。時に私は決して子供がいうことが聞かんとではなくて、この子は親がいよいよ真の信心に導いてくれる。いよいよ改まらせてくれる。いよいよ磨かせて下さる材料が、子供だと思う事でしょうと言っております。子供がいうことを聞かん、というて親が腹立てるのじゃなくてね、子供のいう事を聞かん時には、親が改まっていったらよい。子供が難儀をしておる時にはね、その難儀はそのまま親の難儀として。
親が修行として受けて行くという姿勢で行くという風に、申しておりましたですね。だから生涯かけてと言う事には、そういう根本的な信心姿勢が出来てこなければならないと思う。私は度々の御大祭に度々有り難いと思うんですけれども、とにかく明くる日お礼に出てくる人は、初めてお参りをした方達が多いと言う事です。初めの間はまぁ牛に引かせて善光寺参りで、もうとにかくお参りをしてみなさいで。さぁ切符まで用意して貰うたりね旅費まで出して貰うたりするから、まぁお参りをして来ておるけれどもね。
それこそ波多野さんのところの、近所の方達何人もバスの切符を買ってから、どうぞ参って下さい参って下さいと示現活動をしとった。ところがあのその頭が痛いとか、都合があるからと皆その、まぁ信心というとこのなにかよなり、ところへ連れていくように思ってるわけですわね。その中に、1、2人はそのお参りをされた。もうその方達が帰ってからいわれるのに、あぁいう有り難いとこにどうしてはよう導いてくださらじゃったかという意味の事を言われる。
そんあんたが言うたっちゃ分からんけん、今度はもう私共がとて、今度この次の大祭じゃん。この次の大祭に私達がお導きをするから、今度ん次の大祭には又教えてくれと言う様なおかげを頂いて帰っておる。もう何かかにか分からんばってん、立とうごとなかったちあのご大祭を拝みながら。そこのあの久留米の中村さんですかね。お花やらお茶やらきんちょうして先生をしておられます。そのお弟子さんの中に、もう大変難儀な人がある。旗崎の方なんです。
それでお話をしたところが、なら今日は病院にいかんならんけん、病院にいってからなら、帰ってからならお参りしましょうち。ということじゃった。それでねまぁそげなこと病院てんなんてんいわずに、とにかく半身がこう不随の状態。それから夜が夜が眠らないというのは他ん人じゃた。血圧が二百からある。と言う様なその状態。話を聞くともう大変難儀な人間関係の問題がとてもある。
非常にあの犠牲的精神の強い人で、一生懸命勤めた上にも勤めて、これ以上もうバカにはなれんというぐらいんところまで勤めておられるけれども、問題はいよいよ込み出ているばかりで、もうとにかく話を聞いただけでも、もらい泣きせにゃんごたる状態の中にある方なんです。そこであん中村さんが、あのう病院に行くというよりもね、合楽にお参りばしてごらんなさいち。もう病院にいかんでんよかごとおかげを頂きますよというて、まぁとにかくなら、一緒にお参りしようとお参りがあった。
丁度誰かがすんでここへ座りましたら、帰りがけにその方は途中でね、あん中村先生私は、もう帰るちいわしゃった。なしやちから、とてもあの先生の話ば聞きよんなら、もうぼすぼすくるちこれ。とてもこれが痛うして応えんちゅうわけ。今までは自分が良かったと思いよったばってん、そん丸っきり私に当て付けちいいござるごたるけん、私はもう帰るち言うた。あんたがそがしこ感ずるごたるなら、おかげを頂くばいまいっちょ一辛抱せんのと言うて。
まぁ辛抱したといわれる、そりゃあの先生がいわれるからそりゃ本当でしょう。それこそ自分をぼすぼす来るくらいの話じゃったち。私その人は知らんけんその人に当て付けるわけでもないけれどもね、やっぱそれこそはぁ先生は俺を当て付けよるちゅうごたる風に頂よる時は、必ずおかげ頂く時ですよやっぱ。それから明くる日に又午後に奉仕しとったら、今度は子供さんを連れて参ってみえました。もうここへ来たらもう涙ぼろぼろ流されなさいますもん。
夕べはもう有り難うして有り難うしてね、もう眠られんじゃったち。そのどうしたんですかっちいうたら、それが半身のこの子不随のような感じじゃったのが、スッキリしとるだけではなくて、帰って直ぐ医者に行きました。ここでご直会にお神酒を頂いて一杯気分でポーとしとった。だからもう今日は血圧ばするならとても、あのあがる所は間違いないけん、今日はもうして貰わんでんよかちゅうごた。そんなこつがあるもんかち言うちからまぁつかめるようにしてそのされた所が、百五十に下がっておったと。
こりゃ間違うとると医者の方が、首びばふるぐらいじゃった。こんならもう医者にこんでんよかたいちゅうごと、おかげ頂いておった。ですからいうならば御大祭の御比礼というか、御大祭のそのあの有り難いというその、水の中にこう一緒に巻き込まれておるようなもんです。それがやはりおかげを頂く元であろうと。まだ他にもねもうノイローゼなる寸前、というお方がね、その日を境にお参りが出来るようになって、昨日と今日も又参ってきとります。
本当に神様のおかげというのは、この例えば、そういうごひれいに浴する。いうならばお風呂を呼ばれるようなもんです。お風呂の中で極楽と言う様な気持ちが開けて来る。その心におかげが現れておるです。ほりゃもう本当に驚くですよ。生まれつきに全然目が見えないという人がです、もう全然みえんもう誰が見たっちゃ考えたっちゃ見えない筈の、身に人がね、かげを頂いてテレビを見よってなら、あの画面に時間で出るでしょう。あれをいうげなもん。
それけん感でいよるとじゃろうかと思うちから、ずっというと説明するそうです。はぁあんた見えるのというて、それこそ持っとる物を取り落とすごとビックリして、お礼に出て来ております。そういう例えばあのおかげの世界があるという事。そういうならおかげの世界があっても、私の心の中に感動が起こり、私の心の中に喜びが湧く、それこそ自分に当て付けられるとじゃないだろうかというように、心に響くもの。いわゆる琴線に響く。触れて来るというものが、ある時にです。
なるほど話を聞いて浴びるようなお徳と、浴びるような御比礼に浴する事によって、そういうおかげが現れてくる。だからそういうおかげをいうならば、奇跡的なおかげというでしょうけれども、そういう奇跡的なおかげを頂いたからというて、神も喜び金光大神も喜びということにはならない。ただ自分のその一時の喜びだけに過ぎない。そこでそういう信心を、いよいよ昨日から一昨日にかけて、天地金乃神様のご性格。天地金乃神神様というても、全治全能ではないのだ。
私が昨日、一昨日から、昨日に続いておる、心の中の喜びというものをです、もうこういう有り難い心の状態になり、しかもこのように、一分一厘間違いのない、神様の働きを周辺に、感じる事が出来るようなおかげを頂く。こういう有り難い人間がです、世界中の人間氏子にこれが伝わって行ったならば、そこには問題もなからなければ、不幸もない。ただあるものは世界中が有り難い、勿体無いという、神様なんとかあなたの力でならんものでしょうか。
私が頂いておるこの喜びを、世界中の氏子にあなたが与えて私に与えられたように、与えて下さる訳にはいかんでしょうか、と言う様な事を申しましたら、神様が本当に大坪お前のいう通りなんだよと。お前が心にまひらえておるその喜びと、お前の周辺に現れてくる一分一厘間違いのないおかげの世界とがです、世界中の氏子が頂けるようになる事を神の願いであるけれども、それは氏子がその気にならなければ、いかに神様神とても与えるわけにはいけないんだと言う事です。
だからそういうおかげを頂く一つの手立てとして、真に有り難いとか、はぁご理解を頂いたら自分にぼつぼつ来たとか、なら話を聞いて助かる手立てが出来てから、そしてならこの信心のいうなら見極めがついて、私共が金光大神のお取次ぎを通して拝ませて頂くところの、天地金乃神様という方が、こういうお方という事が分かり、そのお心にそう、心が分かって、心に沿い奉る生きかたを身に付けようと。しかもこれは生涯かけて、それこそ一期の願いをそこにかけて、おかげを頂いていこう。
そういう信心姿勢をつくらせて頂こうという事になる時にです、神様がきゅうりのおかげね、幾久しゅう私共がこの世だけではない、あの世を通してあの世にも持っていけ、この世にも残しておけるという、素晴らしい信心の世界が頂けてくる。それにはまず神様がもうあの氏子は大丈夫と、安心して下さるほどしの信心を、まずは頂くことである。完璧という人間がおるはずはありませんけれどもね。
生涯かけて今日よりも明日、明日よりも明後日と、いわゆる日進月歩で心の状態も開けて行く稽古をね、させて頂きたいという願いをもっての、信心にならせて頂く時に、もうあそこに発心が出来たんだからと、神様が安心して下さる。その安心がこちらへ響いてこないはずがない。日々安心と喜びの生活が出来る、金光大神が取次ぎ甲斐があったと、喜び安心して下さる。そういう信心をいよいよ身に付けて行きたいと思います。
どうぞ。